フェアリーテイル

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第一章



(どうして、こんなことになってしまったのだろう?)
 薄暗い部屋の中、天井からオブジェのように吊り下げられ、片足の爪先だけで辛うじて自身の体重を支えながら、少年は考える。
 立っているのは床でなく、直径五メートルはあろう巨大な円卓の中心だ。
 外周にはずらりと蝋燭が並び、ぼんやりと周囲を照らす無数の炎が、見知らぬ少女たちの艶かしい息遣いに揺れていた。
「ああっ! い、イクゥ……ッ……」
「わ、私も……また……あっ……あうぅっ!」
 身につけたセーラー服を悦びに戦慄かせ、互いの秘裂を舌と唇とで愛し合っていた二人が、オルガスムスを迎える。シックスナインの姿勢のままヒクヒクと四肢を痙攣させ、やがてぐったりと動かなくなった。
 窓の閉め切られた室内は暑く、汗ばむ女子高生の吐息と体臭、牝蜜にふやけ、蒸れた股間より立ち昇る、卑猥な匂いがむっと発ち込めている。
 咽かえりそうな臭気の中で他を見渡せば、円卓の上で蠢く、数多の少女たち。
 皆、発情した猫のような喘ぎを漏らし、二人ないし三人で肌を重ね合っては、互いの愛撫に腰を震わせている。
 それはセーラー服のうねり、とでも形容すべき光景だった。
 そして少年もまた、彼女らと同じセーラー服を着ていた。
 股間を愛撫するために捲り上げられ、腰の後ろで縛られたスカートが、男としての自尊心を打ち砕く。
 諦めたように力無く、少年はうなだれた。その虚ろな視線の先には、股間に纏わりついて離れない一匹の牝猫。
 既に三度の射精を終え、欲望を粗方吐き出したペニスは力を失って、もうだらりとしているのに、少女のものとはとても信じられない、ねっとりと絡み付く舌が、感覚の麻痺して、じんじんと痛むペニスを容赦無く嬲り続ける。
「もうっ! どうして硬くならないのよ。私が下手だっていうの? 若いんだから、もっと出せるでしょ。私の分だけ無いなんて、許さないんだから。それに、まだまだ後がつかえてるのよ。休んでないで、早く元気にしなさいな!」
 いったん唇を離して苛立たしげに叱咤しながら、けれども両手はしっかり搾り上げ、微かに芯の通り始めたペニスを萎えさせまいと、激しいピストン運動を繰り返す。
 強引に包皮を剥き下ろされる痛みの中で、少年は朧気に事の始まりを思い出した。
(私、男の人の精液を飲んでみたいんです!)
 とんでもないことを言い出した一人の少女がまずペニスに襲いかかり、後に続けと群がったその他大勢まで、自分の順番を早めるべく、手分けして少年の身体を愛撫し始めたのだ。
 そして、現在の打順は四番。いくら若くたって、回復時間無しでの連続射精など、そう何度も出来るものではない。恐ろしいことに、順番待ちはまだずらりと列を生し、早くもぐったりしている少年の脳裏には、いつか辞書で知った、腎虚という言葉が過っていた。
「も……もう、無理です。これ以上、出したら僕……死んじゃう……」
 息も絶え絶えに懇願する。そうしている間も、再び股間からはじゅぷじゅぷという、もう聞き飽きた音が鳴り始め、痛みにも似た、むず痒い性感が背筋を這い上がる。
 両脇には二人の少女がぴたりと寄り添い、少年のセーラー服を捲り上げて、舌先で乳首を執拗に転がし続けている。
 小さな乳頭はすっかりふやけてしまい、快感を通り越してひりひりと痛む。
 絶え間ない苦痛と悦楽、過度の射精と無理な姿勢で立ち続ける疲労に意識は朦朧とし、時折、気が遠退いて崩れ落ちれば、天井の金属フックに吊られ、全身を緊縛している荒縄が、薄っぺらなセーラー服の上から、ぎりりと身体に食い込んだ。
「ねえ、早くぅ。もう一度、その子のを飲みたいのぉ」
 つい先ほど、存分に精を抜き取った筈の少女が、甘ったるい声を挙げた。
 底無しの欲望を目の当たりにして、少年の意識は再び遠退く。
「さあ、どうしたのだ? 皆、待ちくたびれているぞ。男ならば、婦女子の期待に応えたまえ」
 たった一人、サキュバスの群れには身を投じず、遠く離れたソファより痴態を眺めていた少女が口を開いた。
「本当にもう出来ないんです。許してください」
 情けなさに涙が零れる。けれど、彼女は容赦しない。
「もう出来ない。本当かね?」
 それはペニスを咥え込んでいる少女への質問だった。
「いいえ。また硬くなってきました。女の意地にかけて、すぐにイカせます」
 一瞬だけ唇を離すと、無情にも答えて素早くペニスを咥え直し、ショートボブの頭を猛烈なスピードで前後に揺らし始めた。
 包皮を根元まで剥き下ろし、露になった亀頭を喉の粘膜に擦りつける。きつく窄めた内頬は肉茎を搾り上げ、吸盤のように吸い着いた唇が亀頭のくびれに引っ掛かるたび、その鋭すぎる快感に少年のペニスは破裂しそうになった。
「ひいぃっ! む、無理です! もう一滴だって出ません! 信じて下さい!!」
 断末魔の叫びを無視してフェラチオはエスカレートしていく。ペニスの腹に伸びる筋を舌で左右に弾きながら、少女は頭を退く際に渾身の力で吸引し、尿道の奥に残る精液を無理やり吸い出した。
 既にペニスは完全に勃起しており、度重なる射精で過敏になった神経は、擦り切れるような性感で少年の脳を刺し貫いていく。
 どうやら、若い肉体にはまだ幾分かの精が残っていたらしい。睾丸の裏に鈍い痺れが走り、括約筋がドクドクと熱く脈動し始めた。
「あっ! あんっ!! あっ! あんっ!!」
 意志に反して、恥ずかしい喘ぎが口を突く。腰が砕けて崩れ落ちそうになり、身体を戒めている荒縄は、牙のように深々と柔肌に食い込んだ。
「良い声だ。もうじきイクのだろう? 遠慮などせず、彼女の口に出したまえ」
 もう声は聞こえない。左右から抱き締めてくれる二人に身を預け、ひたすら絶頂への階段を駆け昇っていく。
「はっ! あぁんっ!! も、もう駄目ですッ! いきます! 僕……もうっ……い、イクーッ!!」
 華奢な腰をひときわ大きく突き出したかと思うと、少年は少女の口に射精した。
 これで四度目というのに、驚くほど大量の精液が迸り、身も心も蕩けそうな悦楽が、恥ずかしい恍惚の表情を強要する。
 一方、根元近くまで深くペニスを咥え込んだ少女は、眉間にきつく皺を寄せたまま、立て続けに吐射される熱い飛沫を呑み下し、射精の脈動がすっかり収まるまで、献身的に受け止めてくれた。
「フフフッ、もう出来ないなどと言いながら、出すものはしっかりと出したな。その様子では、まだいけそうな雰囲気であるが、どうか?」
「も、もう……ほん……と……に……」
 失神寸前の少年に代わって、フェラチオ少女が元気に答える。
「四発目なのにたっぷりと出ました。もうお腹いっぱいです。まだまだ味も濃いので、あと三回……いいえ、無理をすれば五回くらいは確実に射精できると思います」
 その報告を聞いて、順番待ちが色めき立った。
「次は当然、私たちの番よね?」
「ずっと抱き締めてあげてたんだから、お礼に濃いのをたくさん飲ませてもらうわ」
 両脇から交互に訊ねてくるものの、少年にはもう、答える気力もない。
「婦女子にこれほど求められて、男冥利に尽きるな。では、精魂尽き果てるまで頑張ってもらおう。彼女ら全員を満足させないうちは、眠れないものと思いたまえ」
 サキュバスの親玉は、悪の女王もかくやという甲高い笑い声を挙げる。
 薄れ行く意識の中でそれを聞きながら、このまま本当に死んでしまうのではないか、と少年は本気で心配し始めていた。



「女の子かと思った」
「女の子だったら、良かったのにね」
 似通った言葉を何度聞かされたことだろう。親と妹から始まり、親戚に隣人に友達、果ては担任教師に至るまで、出会った人間には決まって同じ台詞を言わせるくらい、深井真琴は少女のような少年だった。
 ただシャンプーで洗っているだけなのに、自然とキューティクルを纏ったサラサラの髪にはいつでも天使の輪が輝き、小さな卵型の顔には細い眉が明るく柔和な表情を描いて、その下に埋まった黒目がちな瞳は、常にきょろきょろと子犬のような好奇心で外界を見つめている。
 すっと通った鼻筋は目立たず、反対に、普段はあまり開くことのない唇の桜色が、透き通るような白い肌と合間って、とても印象的だ。
 線の細い身体は高校二年間を通して如何ほども男らしくならず、体毛もまるで無い。
 身長は中学の頃に160センチあたりで止まってしまい、とっくに変声期を過ぎたというのに、澄み切ったボーイソプラノは凛として失われなかった。
 さすがに心配になって病院へ行っても、さんざん検査を受けさせられた挙句、どこにも悪いところは見当たらず、単にホルモンのバランスが、やや女性側に傾いているのではあるまいか、などとひどく曖昧な返答を、結構な金額と引き換えに受け取って、寂しくご帰宅と相成った。
 男か女か、よくわからない名前をつけた両親の願いを、あるいは親切に聞き届けてくれたのかもしれないが、今年で十七になった真琴は、信じてもいない神様とやらに、中途半端な仕事をするな、と言ってやりたい気分だった。

「真琴! 真琴! ちょっと付き合え。良い話があるんだ」
 放課後、今まさに帰ろうとしたその時、クラスで唯一、付き合いのある島村鉄男に呼び止められて、真琴は嫌な予感がした。こいつが喜び勇んでやってきて、良い話を持ってきた試しなど一度も無い。
「さて、今日はもう帰ろう」
 無下に立ち上がると、くるり鉄男に背を向ける。
「こら、こら。激しく無視するな。なっ、騙されたと思って……」
「本当に騙すんでしょ?」
「まさか! 親友のお前を、俺が一度でも騙したことあったか?」
「数え切れないくらい」
「うむ、確かに」
 鉄男はあっさり認めた。
「でも、今回は違う。マジで悪くない話なんだって」
「さっきは良い話って、言ってたけど?」
「揚げ足をとるなよ。さあ、行くぞ」
 頭二つぶん背の高い鉄男に肩を抱かれ、真琴は大きく溜息を吐いて、無事な帰宅を断念した。
 連れていかれたのは、校舎外れの視聴覚室だった。普段は滅多に使われない教室で、放課後というタイミングも手伝って、あたりには猫の子一匹、見当たらない。
「こんな所に連れてきて、いったいどうするつもり?」
 なんだか身の危険を感じた。鉄男に限ってそんなことは無いと思うが、かつて上級生に犯されかかった経験を持つ真琴は、自然と警戒してしまう。ちなみに、そのとき助けてくれたのは、当の鉄男だったのだけれど。
「なあ、憶えてるか? お前、俺に借金あったよな」
 とつぜん切り出された言葉に、警戒心はさらに強まる。
「それは……憶えてる」
 忘れていたわけではない。ただ、このところ催促もされないものだから、あわよくば無かったことにできるかな、と少しばかり期待していただけだ。
 高校生の身分でアパートに一人暮しの真琴は、目の玉が飛び出る額の仕送りを受け取っていたが、とある事情からそれには手をつけず、学費と家賃以外はアルバイトでやりくりする貧乏学生なので、懐にはいつも余裕が無い。
 友達と呼べる友達も他にいないため、借りる相手といえば鉄男しかおらず、積もり積もった借金は結構な額になっていた。
「正確には五千四百二十三円だな。間違い無い」
 ポケットから取り出した、しわくちゃの紙切れを見つめて、うんうんと鉄男が頷く。
 一円単位まできっちり記録しているとは、でかい図体の割に細かい奴だ。
「返したいのはやまやまなんだけど……」
 それは本当だった。借金なんて、したくてするものじゃない。でも……、
「今月はゲーム買っちゃったから、お金無くて」
「困るよ奥さん」
 急に芝居掛かって、鉄男は言った。
「こっちもガキの使いじゃないんでね。どうしても返せねぇってんなら、仕方が無ぇ。こいつを着て、イメクラにでも行ってもらおうか」
 そう言って鉄男は、あらかじめ机に隠しておいたらしい、ビニール袋を颯爽と取り出した。
「そ、それっ、聖フェアリーのセーラー服じゃないか! いったい、どうやって手に入れたのさ!?」
 正確には私立聖フェアリー女子学園。その名は近隣の、特に真琴たちのような男子校に通う生徒にとって、特別な意味を持つ。
 創立からまだ十年と経っていない、新興の女学校に入学できるのは、学園に相応の寄付が出来る資産家の子女、その中でも知性と品格に秀でた者のみ、と噂される中高一貫の全寮制お嬢様学校だ。
 しかも、聖フェアリーの制服を着た生徒たちは皆、例外無く可愛い。どうやら入学に必要とされる資質の中には、容姿も含まれているらしい。倫理的には大問題だが、そのおかげで本当に妖精たちの舞う、地上の楽園が出来あがった。
「苦労したぜ。俺が調べたところ、フェアリーの制服は学生証と同じ扱いになってる。学校から生徒に貸し与えられるんだ。だから、卒業する時には返さなきゃならない。絶対に市場には出まわらないシステムだ。もっとも、制服を売るほど金に困るような女は、フェアリーにはいないだろうけどな」
 鼻高々でなされた前振りは、聖フェアリーであればさも在りなん、な話だった。
 昨今、不要になった制服をネットオークションなどで売りさばいて換金する行為は、元女子高生たちの間で当たり前のように行われている。
 しかし、こういった商取引は学校のイメージダウンは元より、重大なセキュリティ上の問題を引き起こす危険性がある。本来であれば看過できないのだが、予算の関係から生徒に自費で購入させる以上、それは私物なので、どう処分されようと文句は言えない、という学校側にとっては痛し痒しの懸案だった。
 これを踏まえて言えば、鉄男の話は実に聖フェアリーらしい堅牢なシステムの存在を伝えるものとして、充分、信用に足ると思えた。
「問題なのは返却された後だ。毎年、百着以上出る古着を、学校がいちいち保管している訳が無い。返却された制服は出入りの業者が一括回収して工場で裁断、別用途にリサイクルされてるんだ」
「で、その工場へ行き、直接交渉して買ってきた……と?」
「売ってくれるもんか。もしフェアリーにバレてみろ。業者は即出入り禁止になっちまう。制服の供給を任されるのと引き換えに、回収からリサイクルまでを責任持って行う契約になってるんだから」
 そんなことまで良く調べたものだ。その行動力を勉強や部活に使えば、きっと人生も変わるだろうに。けれど、制服一着の為に血道を開ける鉄男の、そういうところを真琴は気に入っていた。
「並みの好事家なら、ここで諦める。だが、俺は違う。ネットでレプリカを購入し、工場に忍び込んでオリジナルと交換してきた。なんせ、通し番号をつけて総数を管理してるもんだから、ただ持って来たんじゃ無くなったのがバレちまう。ほんと、苦労したぜ」
 薄笑いを浮かべながら、自慢げに話す鉄男を見ているうちに、真琴はだんだん頭が痛くなってきた。
「ほんと、どこぞの大泥棒の三代目みたいだ。いつかとっつぁんに捕まるよ?」
 そういえば、以前に一度だけ遊びに行った鉄男の部屋には、何処の学校の物とも分からないセーラー服やブレザーが、所狭しと飾られていた。
 いったいどんな手を使ってコレクションしたのだろう。いい加減、付き合いを考え直すべきか……。
「で、そろそろ本題に入ってくれない? その血と汗と涙の結晶を見せて、僕にどうしろと」
「これを着てフェアリーに侵入し、デジカメで写真を撮ってこい。それも、なるべくエロい写真を。そうすれば、借金はチャラにしてやる」
 即座に、そして淀み無く戻ってきた返答に、真琴は我が耳を疑う。
「……は?」
「これを着てフェアリーに……」
「繰り返すな! 僕が訊いてるのは、本気で言ってるのかってこと!!」
 思わず声を荒げてしまった。盗んできたセーラー服を着て、女子校に不法侵入し、更には盗撮してこいなどと、とても正気の沙汰とは思えない。
「本気も本気さ。入手が難しいぶん、フェアリーの制服はIDと同等の威力がある。これを着た真琴なら、ルックスから言っても、現役の生徒として充分通用する」
「バレて捕まったら、どうするのさ!?」
「もし作戦に失敗し、当局に拘束されるような事があっても、我々は一切感知しないからそのつもりで」
「僕はトム・クルーズじゃない!」
「だったら、今日からなれ! それとも、今すぐ五千九百二十三円、耳揃えて返してくれるのか? あぁん?」
「五百円増えてる……」
「細かい事は気にすんな。さ、ちゃちゃっと変身しちまいな。月に代わってお仕置きよってな感じで」
「本当に変身できたら、真っ先に鉄男をお仕置きするよ。もちろん、必殺の方ね」
 皮肉たっぷりに言いながらも、真琴は取り敢えずビニール袋を受け取る。
 借金返済の件もあるし、なんだかんだ言っても、目の前にあるのは聖フェアリーの制服、正真照明の本物だ。やはり興味深々だった。
「わ……こんなに軽いんだ……」
 ただでさえ童顔のところを、すっかり子供の顔になって、ビニールの上からセーラー服を撫でまわす。
 肩の端まで伸びた、大きな濃紺の襟に白線が三本走り、縁取られるように胸当てが綺麗な三角形を作っている。襟の下から生えた真っ赤なスカーフは、銀刺繍によって描かれた、飛翔する妖精の紋章が眩しい、スカーフ留めで緩やかに纏められ、光沢を湛えた純白の下地に、鮮やかなコントラストを生み出していた。
 几帳面に折り畳まれたセーラー服は、決して特異なデザインではない。肌の露出を嫌う校風からか、夏服なのに長袖というのが珍しいくらいだ。
 しかし、ブレザーや過度に装飾されたセーラーの比率が高くなりつつある今、至誠と貞淑を校訓とする聖フェアリーらしい、極めて古風な様式は稀少であり、街中では逆に目立つこと請け合いだった。
「ね、開けても良い?」
「もちろん。お前の為に用意したんだ」
 息を弾ませて真琴が訊くと、鉄男は胸を張って答えた。会話だけを聞いたら、プレゼントを受け渡す恋人同士に思われるかもしれない。そんな気色の悪いシチュエーションにも、セーラー服に夢中になっている真琴は気がつかなかった。
「うひゃー、小さい。これサイズは?」
 ビニールから出して、上着を胸に当ててみる。高校生としてはびっくりするくらい小柄な真琴だったが、それでも肩幅はぎりぎりで、女子高生の身体がいかに小さいか、改めて思い知らされる。
「サイズはM。さすがにきついと思ってLを探したんだけど、見つからなかったんだ。でも、胸が無いぶん、多少の余裕は出るはずだから、なんとかなるだろう。とにかく着てみろよ」
「うん、わかった……て、そんなわけあるかっ!」
「おっ、乗り突っ込み。素人のは初めて見たな」
「僕はまだやるとは言ってない。来年で卒業なのに、こんなくだらないことで退学にでもなったら、目も当てられない」
 二度と戻らぬ覚悟で、実家から遠く離れた高校を選んだのだ。今さら、退学になどなってたまるか。
「何を小さいこと言ってるんだよ。自慢じゃないが、俺もお前も頭が悪い。出席日数だってぎりぎりだ」
「それは鉄男が付き合わせるからだ」
「爪弾き者同士が仲良くするのは、自然の摂理だろう? お互いがいなくなったら、一人ぼっちになっちまうんだぜ?」
 入学して間も無く。まだ友達もできないうちにレイプされかかり、相手の三年生を鉄男がぶちのめしてからというもの、真琴に近寄る生徒はいなくなった。
 唯一の例外である鉄男とつるむようになったのは、半ば仕方なくとはいえ、やはり必然であろう。
「何が言いたいのさ」
「つまり、進学なんてありえないんだから、来年の今ごろは俺たちゃ社会人で、バラバラになっちまう。二人で馬鹿やれるのも、これが最後なんじゃないかって、そういう話さ。糞つまんなかった高校だけど、せめてひとつくらいは甘酸っぱい思い出って奴を残そうや。んでもって、その若さで背負っちまった借金を、綺麗さっぱり返済しようや」
 真琴の肩をバシバシ叩き、目頭を押さえて鉄男は熱弁を振るう。そのわざとらしさに辟易しつつ、また聖フェアリーへの侵入及び盗撮が、どうすれば甘酸っぱい思い出となり得るのか甚だ疑問に感じながら、しかし、同意の余地がまったく無いわけでもなかった。
 容姿のことで騒ぎ立てる周囲への反発から、わざわざ男子校を選んではみたものの、教師も生徒も、むさ苦しい男だらけの校内において紅一点という、拷問のような絵面が出来あがっただけで、何も変わりはしなかった。
 周囲から浮き上がってばかりだった二年間をなんとかやってこられたのは、思えば鉄男がいたからだ。でなければ、とっくに辞めていただろう。
 それに、来年から社会人というのも恐らくは間違い無い。あらゆる選択肢を思い浮かべたところで、これ以上、勉強する気にならないのだけは確かだから。
「はぁ……わかったよ。エロい写真は約束できないけど、やるだけやってみる」
 上手く乗せられた節はあったが、今まで足枷にばかりなってきた自分の容姿を逆手にとって、なにかひとつイベントを打ってみるのも面白い。それが鉄男への恩返しになるなら一石二鳥、いや、借金返済のことも含めて、三羽は獲れる計算になる。
「よくぞ、言ってくれた。それでこそ我が親友だ。ではさっそく着替えに入ってくれ。そして、その一部始終をこのデジカメに収めさせてグエェッ!!」
 恩返しの部分は撤回! 真琴は鉄男の鳩尾に、渾身の正拳突きをお見舞いした。

「なぁ、もういいか?」
「まだ。いま振り向いたら、殺すからね」
 鉄男に警告した真琴は、Tシャツの上からセーラー服を着ようとして、早速躓いた。
 裾のきつさに、まったく肩が通りそうにない。生地に伸縮性は皆無なので、無理に着ようとすると破けてしまいそうだ。
「あれ? あれれ? 入らないよこれ」
「馬鹿、無理するな! チャックを開けるんだよ。横にあるチャックを!」
 背中を向けたまま怒る、鉄男のアドバイスに従って見れば、確かに上着の片側、腰のあたりにチャックが隠されている。
「なるほどね」
 チャックを開けて、すっぽりと頭から被る。しかし、今度は襟口に頭が通らない。
 どうしようか、と悩んでいる内に真琴は、夏用の薄い生地を通して吸い込む空気が、ほんのり甘いことに気がついた。
 それはちょうどバストの当たる部分で、胸の谷間に香水でも振り掛けていたのか、鼻腔をくすぐる白百合の芳香に、思わず持ち主の姿を想像してしまう。
 もちろん、聖フェアリーの生徒なのだから、清楚な美少女に決まっている。そして、ずいぶんと几帳面な性格だったのだろう。夏用とはいえ、三年間使った筈の制服には、汚れも型崩れも見当たらない。
 そのほのかに薫る香水の匂いからして、ほんの少しだけ背伸びをしているような、また、その程度の背伸びしか出来ないような、大人の階段を上り始めたばかりの初々しさを感じて、真琴は背筋がぞくぞくした。
「よう、真琴よう。おまえ、ど田舎の案山子みたいになってるぞ」
 待ち切れずに振り向いたのか、鉄男の呆れたような声で現実に引き戻される。
 恥ずかしくなった真琴は、思い浮かべた妄想を急いで掻き消し、真っ赤な顔でぶっきらぼうに答えた。
「今度は頭が通らない!」
「それはな……ここを外すんだよ」
 言いながら近づいた鉄男は、何やらボタンをぱちりと外した。とたんに頭がすっと通り、晴れて真琴はセーラー服を着ることができた。
 見ると、胸元の三角形は裏側からボタンで三隅を留めるようになっており、その内のひとつが外れていた。
「わっ、この三角のやつ、取れるんだ。無くしたりしないのかな?」
「なにボケたこと言ってるんだよ。早くスカートも穿けって」
「わかったから、もう一度後ろを向いて」
「かぁーっ、本物の女子高生じゃあるまいし! それともセーラー服着て、身も心も女になっちまったか!?」
 じれったそうに鉄男が言う。その言葉にかちんときて、真琴は憤怒と言い返す。
「僕は男だ! だから、こんな格好は恥ずかしいんだ!!」
 真琴の前で、女みたいとか、女だったら、といった言葉は禁句だった。それを一番よく知っているのは鉄男なので、あっさり折れて後ろを向いた。
「わーった、わーった。でも、早くしてくれよ。下校時間をあまり過ぎると、門番に怪しまれるからな」
 再び背中を向けた鉄男に満足して、真琴は素早くズボンを脱ぎ、濃紺色のスカートへと恐る恐る脚を通していく。
(やばいなぁ……僕はいま、とんでもないことをしてるのかもしれない……)
 羞恥心と罪悪感が高まる一方、セーラー服を着る、という未知の体験に、不思議と胸が高鳴った。
 思えばセーラー服を初めて間近で見たのは小学生の頃だ。自分を可愛がってくれるお隣の女子高生が大好きで、よく家に遊びに行った。学校帰りの彼女は制服のままで相手をしてくれ、性に目覚めたばかりの真琴は恋と呼ぶにはまだ早い、気恥ずかしい憧れの視線で、その姿を見つめていた。
 懐かしい記憶と共に深く脳裏に焼きついたセーラー服を、いま自分は身につけようとしている。そんな感慨が真琴をひどく高揚させた。
 プリーツの規則正しく織り込まれたスカートは薄く、羽根のように軽い。さすがにウエストは少しきつくて、腰骨に食い込まぬよう調節したところ、裾は膝の上、十五センチくらいまで上がってしまった。
 スカートを穿くのはもちろん初めてだが、こうして実際に穿いてみると、布をただ腰に巻いているだけで、後は重力と風まかせという、まったく無防備な代物であり、股間がスースーして落ち着かない。
 男に比べて守るものの多い女子が、よくこんな格好で街を闊歩できる、とつい感心してしまう。駅の階段などで尻を隠すのは、ある意味当然なのかもしれない。
 やがてスカートの位置を念入りに確かめ、エンブレムの入った白いハイソックスに履き替えると、真琴は名門通いの可憐な女子高生にすっかり変身していた。
「終わったよ」
 言うや否や、鉄男は素早く振り返り、真琴の全身を舐めるように見つめる。
 その目つき顔つきは、もし警官にでも見られたら、職務質問をすっ飛ばして即懲役ものの猥褻さであり、男の真琴でさえ悪寒を禁じえない。
「いい……」
「へ?」
「すげーいい! 思ってた通りだ。セーラー服姿の真琴っ! おまえ最高!!」
「うわっ! そ、それ以上近づいたら、僕のダイナマイトブローが炸裂するよ!?」
 今にも抱きついてきそうな鉄男の勢いに後ずさり、真琴はシュッ、シュッ、とシャドーボクシングで牽制する。その姿は情けないくらい様になっていなかったが、鼻先に拳を突き出された鉄男は、餌のお預けを食らった犬の顔で、仕方なく動きを止めた。
「似合うだろうとは思っていたが、フェアリー版の真琴がこんなに可愛いとは驚きだ。本物と肩並べて歩いたって、きっと見劣りしないぜ。胸が無いのは、まあ仕方ないとしても……」
 はぁ、はぁ、息を吐きながら、遠慮無く舌舐めずりすると、鉄男の視線は胸元からゆっくりと下がって、スカートの裾より伸びた白いふとももに注がれる。
「その絶妙なスカートの丈……ヒヒッ、たまんねぇな」
 十七歳とは思えない、あまりに好色な顔に耐えられず、真琴は本物の女子高生のように、両手でスカートの裾を伸ばそうとした。
「ほんっと、スケベな中年親父と何も変らないね! 男の脚を見て、何が楽しいのさ!?」
「今の真琴は男に見えない。街に出ればそれがわかる。さあ、行くぞ。作戦開始だ」
 また何処に隠していたのか、女物の革靴と鞄を手に持って、鉄男は意気揚々と胸を張る。
 無駄に雄々しいその姿に呆れ、大きく溜息を吐いた真琴は、自分の軽率な行いを、早くも後悔し始めていた。



 両手をポケットに突っ込み、ブルーベリーガムをくちゃくちゃ噛みながら、鉄男は言った。
「わかるか? みんなお前を見てるんだぜ」
 わざわざ教えてもらうまでもない。学校の裏門を出て以来、肩を並べて歩く二人を道行く人々が振り返る。例外無く、全員が男であり、彼らの熱い眼差しは、今や聖フェアリー女子学園の生徒となった、真琴に注がれているのだ。
 全寮制の上、学校の敷地内に寮があるものだから、街中で制服を見かけること自体が極めて稀である。よって一部マニアの間では稀少動物並の扱いを受け、盗撮された画像データは、八十年代におけるアイドルの生写真ばりに、高額取引の対象となっている。
 そんな珍しいターゲットが男連れで歩いていれば、注目されるのも当然だった。
「やばいって。近くで見られたらバレちゃうよ」
 前髪で目を隠すように顔を伏せ、緊張に手足をギクシャクさせながら早足で歩く。
 一歩踏み出すたびにスカートはひらひらと舞い、危うくトランクスが見えそうになって、慌てて小股に切り替えた。
 真琴はひどく動揺していた。これまでのパターンはいつも決まっていて、はじめは好意的だった視線も、男と分かった途端に落胆、すぐさま奇異へと変化する。でも、今回は違った。
 ただ聖フェアリーの制服を着ているだけで、誰も真琴を男とは思わない。それどころか、もし鉄男がいなければ、今にも群がってきそうな勢いだ。
 気分としてはライオンの群れに放り込まれた兎。実際、彼らの目は悔しそうに語っていた。隣に男さえいなかったなら、と。
 鉄男がボディガード代わりとなっている皮肉に、真琴は苦笑するしかない。
「ふふふ、俺はいま人生最高の気分だ。なんたって、あの聖フェアリーの生徒と歩いてるんだもんな。奴らきっと、俺たちが付き合ってると思ってる。彼女いない歴十七年を誇る俺にとって、こんな痛快なことはないね」
「僕が男と知ってて、よく言うよ」
「問題なのはルックスさ。今のお前は奴らの目に女として映ってる。それも名門通いの可愛い女子高生にな。中身が男とバレないうちは、みんなびっくりするくらい、優しくしてくれるぜ」
 鉄男の無責任な発言も、男たちのギラついた目を見れば、それなりに説得力を持つ。
 だからといって、同じ男の端くれである真琴が、素直に喜べる筈もなかった。
「あのね、僕だって彼女いない歴十七年なんだよ? 男にモテたって嬉しくも何ともない。女の子は女の子で、珍しい動物でも見るみたいに、遠くからひそひそ噂話するだけだしさ」
 恋愛に関しては、女子の方がより残酷なのかもしれない。少なくとも真琴は、マスコットとして重宝されたことはあっても、女子から告白されるなんて経験は一度も無かった。
「お前の場合は顔が良すぎるんだよ。自分よりも綺麗な男を、普通の女は認めない。ルックスに絶対の自信がある、高飛車なお嬢様ってんなら、あるいはペットとして、飼ってくれるかもしれないけどな」
 そう言ってガハハッと笑う鉄男に呆れ、真琴は深い溜息を吐く。
「それは鉄男の願望じゃん。僕はそんなの嫌だ。僕の好みはもっとこう……あれ?」
 かつて憧れた隣家の女子高生を思い浮かべ、優しいお姉さん像を訴えようと知恵を絞った矢先、真琴は道の彼方より走り来る、やたらクラシックなデザインのリムジンに気がついた。
 大した道幅もないのに、その速度はどんどん増しているように見え、事実、エンジンの低い唸りはあっという間に獰猛な咆哮へと変わって、象並みの体重があるだろう鋼鉄の獣は、わき目も振らず真っ直ぐに突っ込んでくる。
「ま、まさか……嘘……だよね? て、鉄男、危ないっ!!」
 真琴の叫びに、ようやく鉄男も、近づく生命の危機を悟るが、その瞬間はもう目と鼻の先まで迫っていて、声をあげる暇もない。出来ることはただ両目をひん剥いて、人生最後の光景を網膜に焼き付けるだけ。もし俗説が正しいとすれば、脳裏にはこれまで生きてきた十七年の人生が、走馬灯のように流れていたことだろう。
 しかし、鏡さながらに磨き上げられた、リムジンのバンパーが牙を突き立てる寸前、真琴は反射的に鉄男を突き飛ばす。反動を使ってすかさず民家の壁に貼り付き、ちょうど人一人分だけ幅を残し、擦り抜けたリムジンは優雅にスピードを落として、何事もなかったように停車した。
 心臓がバクバクと嫌な音を発てている。背中は冷や汗でびっしょりだ。
 狙いは恐らく鉄男だけだった。真琴が反応しなければ、はね飛ばされていたに違いない。見ると、もんどり打って倒れた鉄男は、ひき潰されたカエルみたいにうつ伏せで伸びていた。
「鉄男っ! だ、大丈夫……て、ひいぃっ!?」
 慌てて駆け寄り、地面から引き剥がずと、頭を打ったのか、鉄男は半分白目を剥き、口を絶叫の形にしたまま気絶していた。その形相のあまりの恐ろしさに、思わず手を放してしまい、でかい頭がゴッと音を発てて、再びアスファルトに打ちつけられた。
「ん……ううん……」
 思いがけない衝撃は、転じて良い目覚ましとなったらしい。ところが……、
「いっ……てーぞコラーっ!!」
 バッタみたいに跳ね起きた鉄男は、何故だか真琴に食いついた。
「僕じゃないだろ! あっちだろ!!」
 リムジンを指差し、負けじと真琴も怒鳴り返す。
「おおっ、そうだった。おい、てめーっ! 殺す気かっ!? 降りて来いっ!!」
 地団駄を踏みながら喚き散らす声が、昼下がりの蒼空に虚しく吸い込まれていった。
 すると、ひと呼吸置いてドアは静かに開き、運転席から白髪混じりの見事なオールバックが降りてくる。
 肌には年輪と呼ぶべき皺が随所に刻まれていながら、老いを全く感じさせない洗練された身のこなしは一分の隙も無く、気の遠くなるような年月の中で、積み重ねたであろう研鑚がオーラとなって、一種、重厚な鎧にも似た迫力で周囲を圧した。
「げぇ……」
 抗議の相手としては、かなり手強そうに見える。身に纏った雰囲気も然る事ながら、なにせ英国紳士御用達とでも言いたげなタキシードを着込み、首元には蝶ネクタイ、ついでに白銀のカイゼル髭まで反り返っているのだ。
 つい先ほど鉄男を轢きかけた、時代錯誤なリムジンを背に佇むその姿は、見慣れた街の風景を、大正のいにしえ薫るセピア色へと、瞬く間に塗り変えてしまう。
「やべっ……ありゃ、やべぇよ、真琴」
 さっきまでの威勢は何処へやら。鉄男は慌てて真琴の後ろに隠れようとする。
「無理だよ。鉄男が僕の背中に収まるわけないじゃん。それに自分で降りて来いって言ったくせに、その腰抜けっぷりは何?」
「ばっかやろ。人ごとだと思いやがって。どう見てもあいつ、セバスチャンって顔してんじゃねぇか。今どき、あんな分かりやすい金持ちの執事キャラが見られるのは、お前の大好きなエロゲーの中だけだ」
「エロは余計だよ! エロはっ!!」
「余計じゃないだろ! エロゲーにエロアニメにエロマンガにエロ小説。おまけに変態女装趣味! みんなエロ絡みじゃねぇ……なーんて、大切な友だちのプライベートを侵すような真似は、この辺にしておきましょうね。それに最後のは、俺が無理やりやらせてるんですものね。困ったもんだ。ははは……」
 真琴の目に宿った殺意の光を、鉄男は乾いた笑いで必死にやり過ごす。
 そんな馬鹿二人の即席コントを余所に、件の運転手は仰々しい仕種で、後部座席の重そうなドアを開いた。その瞬間、
(なにーっ!!)
 諍いを超えて、真琴と鉄男の心の叫びがシンクロする。
 まるで巨大な雌牛の腹から産み落されるように、白いハイソックスに包まれ、眩く光るふくらはぎがリムジンの開口部より生えては、地面を求めて淑やかに揺れた。
 すらりと伸びた脚は成熟した女性の完璧な脚線とも、発育途上の未熟な足とも趣を異にする。
 言うなれば半熟。血色の良い透き通るような肌と、今にもはちきれそうな若さ溢れる肉付きは、女へと生まれ変わる瞬間を目前に控え、足早に去りゆく少女時代の最後の輝きだった。
 スカートに包まれたヒップが皮張りのシートを軽やかに滑り、黒光りする革靴の片方でカッとアスファルトを踏み締める。肉感たっぷりのふとももは軽く開かれ、深く織り込まれたプリーツの裾が、左右に引っ張られて擦り上がった。
「おぉっ!!」
 車高の低さも手伝い、あと一息でショーツが見える、というぎりぎりのラインにつられて、真琴と鉄男は思わず前屈みになる。わずかに覗けた内ももは早熟な白桃のようにほんのりピンクがかって、いまにも甘い芳香が漂ってきそうだ。
 未だリムジンのルーフに隠れて顔は見えない。嫌が応にも期待は高まる。
 そして少女は、美味しそうなふとももを若々しく躍動させ、車中より颯爽と姿を現した。
 夏の到来を告げる風が辺りを吹き抜け、漆を塗ったように艶やかな長髪は綺麗なウェーブを描いて、キラキラ陽光を反射しながらふわりと舞う。
 形の良い小さな耳の袂で揺れる、左右一対の優雅な巻き毛がアクセントとなって、近世ヨーロッパは王侯貴族の娘と見紛うばかりに少女を惹き立てていた。
「マ、マリー・アントワネット!?」
 二人は同時に呟いて、巻き毛=マリー・アントワネット、という庶民の浅学を思い切り晒す。しかし、真琴たちがどんなに騒ごうと喚こうと、少女の目の端にすら入れてはもらえないらしい。
 真琴と同じ制服を、つまり聖フェアリー女子学園の制服を着た少女は、こちらのことなど見向きもせず、白磁器で出来ているような、怖いくらいに整った顔を思い切り不機嫌に歪ませたかと思うと、シルク地の手袋に守られた手の甲で、いきなり運転手の頬を張り飛ばした。
 掌と異なり、派手な音はしないものの、ほとんど裏拳と変わらない衝撃が、威厳ある初老の頬を重く貫く。
「お前らしからぬ不始末だな、沖田。ゴキブリ一匹駆除できないとは」
 自身の四倍は齢を重ねているだろう運転手に、少女は一切の容赦をせず言い放った。
 二人の間には年齢も性別も意味をなさない、主従関係という絶対に越える事の出来ない壁が存在しているようだ。
「申し訳ございません。黎香様と同じ、聖フェアリー女子学園に通う婦女子であれば、その優しさ故に、例え相手が下賎の者であろうとも、とっさに庇おうとしてしまうのは必定。それを予測した上で、狙いを修正すべきでした」
 運転手は掌を心臓に充て、どうぞお好きなように罰してください、とばかりに深々と腰を折る。その潔い姿は、女王に忠誠を誓った老騎士のように見えた。
「まあ、いい。沖田も歳をとったということか。沮喪をした老犬をあまり叱るのも、大人気無いから許そう」
 自身の寛大さを強調しつつ、相手を侮蔑するその物言いに、歪んだ性格が滲む。
 しかも、黎香と呼ばれた少女からは、罪悪感というものが微塵も感じられない。
 真琴や鉄男の度肝を抜いているこの光景すら、彼女にとっては取るに足らない瑣末な出来事らしい。
「さて……」
 静かに向き直り、黎香はじっと鉄男を見据えた。その目は嘲笑に満ち、ピンク色の小さな唇から発せられた声は、静かながらも凍てつくほど冷めたかった。
「そこのゴキブリ。悪名高い屑高の分際で、栄光ある我が聖フェアリーの生徒に付きまとうとは、相応の覚悟があるのだろう。償いの準備は良いか?」
 屑高とは、真琴達の通う私立九頭高等学校の近隣における通称である。八岐之大蛇よろしく頭が九つもあるくせに、学力レベルは最低ランク。素行は悪いが、体力も度胸も無いのですぐ捕まるという、屁垂れを絵に描いたような学校だからだ。
 それ自体は反論しようのない事実なので仕方が無い。とはいえ、いきなり轢き殺されかけ、そのうえ罵倒される謂れなど、ある筈もなかった。
「ちょっと待って! 人を轢こうとしたくせに、謝りも名乗りもしないで、ゴキブリだの屑だのって……あなたいったい、どういうつもりなんです!?」
 反射的に激昂しかけた真琴の口を、鉄男の手が慌てて塞ぐ。同時にもう片方の手を腰に回してさも親しげに抱き寄せると、今では懐かしのテレビドラマ特集でしかお目に掛かれない、リーゼントにサングラスをかけた不良の口調で言い返す。
「そうよ、俺様は屑高のゴキブリよ。このカワイコちゃんは頂くぜぇ。ちなみに俺の本名は島村鉄男ってんだ。そこんとこ、夜・露・死・へぶっ!!」
 既に世紀も変わって幾星霜という今日この頃。赤面ものの決め台詞を吐き終える前に、鉄男の顔面は牛革とおぼしき、重そうな学生鞄で粉砕されていた。
「ゴキブリが名乗るなど一億年ほど早い。人間のように進化してから出直すと良い」
 見ると黎香は、投擲モーションで乱れた巻き毛を、顔色ひとつ変えずに直し、すぐ横では沖田が、冷厳な表情で直立不動の姿勢を保っている。
 しかし、真琴は一部始終を確かに見た。黎香の掌が何かを促すように音も無く開かれ、何時の間にか車中より取り出した鞄を、待っていましたと沖田が手渡したのを。
 鮮やか過ぎる連携を経て装填されたこげ茶色の弾丸は、くびれた腰のひとひねりで恐るべき速度に加速。投石器にしてはあまりにか細いその腕から、芸術的とも言える華麗なサイドスローで撃ち出された。
 高速回転しながら曲線弾道を飛翔し、同胞には傷ひとつ付けず、標的のみを確実に射抜いた鞄。それはまるで、決して外れることのないサジタリウスの矢だった。
「や、やってくれたじゃねぇか。でも、忘れるなよ。こっちに人質がいるってことを。お宅の大事な大事な生徒さんが、ゴキブリにこんなことをされてもいいんですかね。お嬢さま?」
 いつから真琴が人質になったのか。斜め上方四十五度でガンを飛ばす鉄男は、ことさらクチャクチャと音を発ててガムを噛み、そうしながら真琴の耳に唇を寄せると、素早く小声で囁いた。
「あいつにくっついてフェアリーに入り込め。言葉遣いに注意。顎を引いて、喉仏を隠せ。グッドラック!」
 言い終えるが早いか、耳たぶをべろりと舐め上げる。
「ひゃあっ!!」
 ナメクジが這うような背筋の凍る感触に驚き、真琴は女子顔負けの悲鳴をあげて、鉄男を突き飛ばしてしまう。
 人質との距離が離れたと見るや、黎香は間髪入れずにダッシュ。翻るスカートも気にしないで一気に間合いを詰めると、跳躍して鉄男の懐に飛び込み、その勢いを駆って鳩尾に肘を叩き込んだ。
「うぼぉっ!!」
 マウスピース代わりに噛みかけのガムを吐き出し、鉄男は真正面から見た河豚の顔でよろよろと後ずさる。
 黎香の攻撃ターンはまだ終わらない。獲物を絶好の射程に捉え、ドンピシャのタイミングで独楽のように急旋回。
「やーっ!!」
 裂帛の気合と共にぴんと伸ばした長脚が一閃し、コンパスさながらの正確な円弧を描く、目の覚めるような後ろ回し蹴りが、ごつい顎にクリティカルヒットした。
「げふぅっ!!」
 痛恨のダブルコンボを食らい、断末魔の呻きを発した巨体は、一瞬なれども地面から浮いた。
 崩れゆく鉄男を背景に、蹴りの余勢で宙を舞う黎香はくるりとひと回り。
 遠心力で波打つスカートの向うに、可憐なレースのキャミソールが、純白のシルクショーツが、若い少女の瑞々しいふとももが垣間見える。
 スローモーションな時間の中で真琴は叫んだ。
「す、すごいっ……」
 思わず発した驚嘆に宿るはスケベ心でなく、黎香の力と技、そして美しさに対する純粋な賞賛だった。
 現代に蘇った戦巫女。セーラー服に身を包んだワルキューレの化身。その圧倒的な凛々しさにあっさり心を奪われる。
「黎香様、御身が穢れます! お下着まで御晒しになって、いつ何処に下卑た輩の邪な目があるやわからぬ昨今、あまり無茶を為さいますな!!」
 意外なほど慌てた様子で駆け寄った沖田は、背中で黎香をガードしつつ、鋭い眼光で素早く周囲を索敵する。
 幸い、人の気配は無く、民家の窓にもカーテンが掛かったまま。ただ、塀の上を三毛猫が興味なさそうな顔で歩いているだけだった。
 危険は無いと判断したのか、沖田は臨戦体勢を解除し、御座りを命じられたシェパードのように主の言葉を待つ。
「別に下着を見られて死ぬわけでも、孕むわけでもない」
 はんっと一息、溜息を吐いて、黎香は事も無げに言い放った。
「なんということをおっしゃる……」
「それより、ゴキブリを踏んで靴が汚れた。換えを持って来るように。時間はたっぷりとかけて構わない」
 小うるさい飼い犬を追い払わんと、黎香は念を押して会話を断ち切る。
 もう少し何か言いたそうな沖田ではあったが、主の命令は常に最優先事項である。
 即座に表情をきりりと引き締め、深々と頭を垂れてから、リムジンへと踵を返した。
「それで、いったいどういうつもりなのか?」
「……は?」
 呆気に取られていた真琴は、唐突に話しかけられ、ようやく我に返った。
「護衛もつけず、制服のまま徒歩で外出するなど、正気の沙汰ではない。ただ可憐というだけで、我等は身の危険に晒されているうえ、近隣にはこのような、汚らわしいゴキブリの巣まであるのだぞ」
 黎香は好き勝手言いながら、足元で伸びている木偶人形の頭を踏みつける。
「う……」
 目を覚ます兆候か、僅かな呻きを漏らして巨体がぴくりと痙攣した。
 すかさずその脇腹に、革靴の爪先が叩き込まれる。
「ぐっ……」
 再び白目を剥いて昏倒した鉄男は、ともすればそのまま永眠してしまいそうだった。
(ひどいっ!)
 鬼のような所業にたまらず、真琴は声を挙げかける。あまり役に立たないとはいえ、ほとんど唯一の友達なのだ。しかも、未だに黎香は気付いていないが、真琴もまた、彼女の言うゴキブリの内である。ひとこと言ってやらねば気が済まん!
「……」
 しかし、声は出なかった。咄嗟に鉄男の遺言を思い出したからだ。
(あいつにくっついてフェアリーに入り込め)
 そうだ。そうだった。セーラー服まで着て、出張ってきたのはその為だった。
(まだ男とバレてはいない。乗るか反るか……ここが勝負の分かれ目?)
 自然と早まる鼓動の中で真琴は迷う。もともとあまり気の進まないイベントであり、御破算にしても一向に問題はないのだけれど、名誉の戦死と引き換えに鉄男の見せた見事な機転を、無駄にするのも気が引ける。それに何より、幸か不幸か出会ってしまった、この傍若無人な女子高生との縁を、勢いに任せて切ってよいものかどうか。
 葛藤する心中などお構い無しに、黎香は会話を推し進めていく。
「事もあろうに、下衆に耳を舐められるとは……つらかったろう?」
 真珠色の手袋がすっと伸びて、真琴の頬を優しく包んだ。薬用リップすら塗ったことのない唇を親指がさわさわ撫でつけ、他人とのスキンシップに慣れていない真琴は、シルクの肌触りにぞくりと背筋を震わせる。
(げげっ! ど、どうする!? ねぇ、どうする!?)
 真っ白になった頭で、繰り返し自問する。まだ覚悟も決まっていないのに、状況の変化が早過ぎる。もう無理だ。素直に白状しよう。
「あ、あのっ……僕……」
「なるほど、僕……か。男が言うのは聞くに耐えないが、不思議なものだ。中性的な君にはよく似合う」
「ち、ちが……」
「気にしなくて良い。私はそういう娘が嫌いではない。いや、むしろ……」
「話を……」
「好きだ」
「え?」
 何かがおかしかった。今、真琴は女子になっている筈で、黎香もまた、そう信じている筈で、にも関わらず好きだと言う。もし仮にその言葉が、同じ学び舎に通う者への親愛から出たものでないとしたら……。
「そ、それって、まさか……レ」
 禁断の言葉を口にしそうになり、ようやく気がつく。黎香の目線は軽く10センチ以上も高い。女子としてはかなりの長身であり、顔立ちは凛として美しく、言葉遣いは宝塚さながらだ。きっと、後輩はおろか、同級生すら虜にしているに違いない。
 軽く見下ろされる形で頬に触れられ、目を合わせるのが恥ずかしくてつい俯くと、すぐ目の前にパールピンクの艶やかな唇がアップになる。
 爪先立ちすれば、容易に接吻できる距離。ほんのり甘いミントの吐息に赤面して、更に俯く。そうして目に飛び込んできたのは、不自然なまでに盛り上がっているセーラー服の胸元だった。
(おっきいなぁ……)
 興奮や欲情よりも先に、不思議と懐かしさが込み上げた。セーラー服には不釣合いな豊満過ぎるバストに、大切な思い出が蘇る。
(そういえば、お姉ちゃんも胸、大きかったっけ)
 あれは小学六年生の時、今ではもう名前も思い出せないお隣の女子高生が、父親の転勤に伴い、引越しする日のことだった。
 泣いて別れを拒む真琴を抱き締め、彼女はそっと囁いた。
(何もしてあげられなくて、ごめんね)
 そんなことはなかった。かねてから折り合いの悪かった母親に、つらく当たられてばかりいた真琴が、彼女のおかげでどれだけ救われたか。ありがたかったか……。
「人と話をする時は、真っ直ぐ目を見るべきだ」
「あっ、ごめんなさい!」
 どれだけ、考え込んでいたのだろう。黎香に窘められて、反射的に謝った。
「まあ、謝ることでもない。それはそうと、見かけない顔だ。新入生か?」
「えっ……あ……そう、です」
 つい勢いで同意してから、真琴は思う。
(新入生って、僕が一年に見えるわけ?)
 至近距離で男とバレないだけでも何気に傷ついているのに、童顔という更なる追い討ちを食らって、自信が揺らいだ。
「そうか。君のような生徒がいるとは気が付かなかった。今日、ここで出会えたのも何かの縁だ。それに学園までの道すがら、また変な輩に絡まれるとも限らない。是非、送らせて貰おう。どうせ、帰る場所は一緒なのだから」
「い、いえ。そんなの悪いですから……」
 遠慮する真琴を微笑で黙らせ、黎香は叫んだ。
「沖田!」
 容赦のない呼び出しに即応して、言われた通り、たっぷりと時間をかけて靴を取りに行っていた沖田が戻ってきた。
「お待たせ致しました」
 片膝をつき、新たな靴を揃えて置く。
 沖田の肩を支えに靴を履き替えると、黎香は素早く手袋を取り去って、綺麗な乳白色の手を差し伸べた。
「私は佐伯黎香という。君の名は?」
 いきなり訊かれて、咄嗟に偽名など思いつかず、仕方なく本名を名乗る。
 ずっと嫌いだった自分の名前に、この時ばかりは感謝した。
「深井……真琴」
「良い名だ。では、行こうか」
 まるでシンデレラを誘う王子のような爽やかさ。いや、ちょっと待て。
(これって本来、立場が逆なんじゃない?)
 男としての自覚からつい自問するも、差し出された手を無視する勇気は無い。
 こっぱずかしいシチュエーションに頬を赤らめつつ、おずおずと手を握ってしまう。
「フフフッ、そんなに緊張しなくていい。私が優しくエスコートする」
 全身に鳥肌が立った。相手が男だったら、間違い無く殴っていた。
 すっかり涙目になりながら、黎香に手を引かれていく真琴は、今だ地面に転がったままの元ボディガードに、必死の念を送る。
(鉄男……僕を助けて……)
 無情にもリムジンのドアは閉まり、もう声も届かない。
 そして真琴は、心の中で歌を歌う。
(あ〜る晴れた〜ひ〜る下がり〜)



 リムジンに揺られること数分。真琴は聖フェアリー女子学園の門をくぐった。
 遥か頭上を仰ぐ金格子の扉には、精緻な浮き彫り模様に混じって、背に翼の生えたニンフたちが舞い、禁断の花園へと真琴を誘ってくれている。
 巨大な両の門柱に立つ、もはや衛兵の呼ぶべき姿のガードマンが鮮やかに敬礼すると、驚いたことに、隣に座る黎香はしっかりと答礼を返した。
(これは無理だよ。鉄男)
 制服を着た程度の偽装で、侵入できる場所ではなかった。黎香に出会わず、二人で来ていたら、間違い無く警察行きだっただろう。
 そうしている間もリムジンは走り続ける。いったい、どれだけの敷地があるのか、見当もつかない。
「あの……門を過ぎてから随分経ちますけど、どこへ向かってるんです?」
「もちろん、私の部屋に決まっている」
「なるほど、貴方の部屋ですか。それは良かった……って、何故!?」
 少し考えて、思わず真琴は突っ込んだ。そんなことがいつ決まったのだ。
「貴方だなんて、他人行儀な。遠慮せず、黎香と呼べばいい。私も真琴と呼ばせてもらう」
(だから、勝手に決めるな!)
 危うく叫びそうになる。しかし、ここは敵陣のど真ん中。事を構える場所ではない。
「れ、黎香……様?」
 自分でも何を言っているのだと思う。でも何となく、さん、では足らない気がした。
「真琴にそう呼んでもらえると、心地良いな。いきなり、部屋に招待したのはマナー違反かもしれないが、お茶をご馳走するくらい、構わないだろう?」
 無邪気な笑顔で訊かれたら、嫌とは言えない。
「は……はい」(恋する乙女じゃあるまいし!)
 胸の中で自分に毒吐き、真琴はこくりと頷いた。

「ようこそ、我らのお茶会へ。ラウンドテーブルこと聖フェアリー生徒会は深井真琴、君を歓迎する」
 校舎の最上階。私の部屋と呼ばれた広大な空間に、声が朗々と響き渡る。
 敷き詰められた真紅の絨毯の上で笑みを浮かべ、黎香は翼のように両腕を広げた。
 背後には、巨大な円卓を囲んで立つ、セーラー服の少女たち。生徒会というより、親衛隊と言った方がしっくりくる。皆、黎香に勝らずとも劣らない端正な顔を持ち、二十二の理知的な瞳が、微笑を湛えてじっと真琴を見つめていた。
 正面の壁に貼られた生徒会旗には、十一人の妖精に護られ、天翔ける女王メイヴの姿が織り込まれている。
 大理石で作られた白亜の神殿を思わせるこの校舎は、学園を統べる絶対者の根城であり、まさに妖精王の巣だった。
「では、始めよう。真琴、君には特製のお茶をご馳走する」
 着席を促された真琴は、生徒会旗を背にして黎香の隣に腰を下ろした。
 二人っきりと思い込んでいたものだから、現実離れした事の成り行きに呆然とするしかない。緊張はすでに極限に達しており、横っ腹が痛いを通り越して……、
(げ、ゲロ出そう)
 ……だった。
 間も無くドアが開き、給仕の女性が二人、金属製のワゴンを押しながら入ってきた。
 生徒会の面々に比べて、幾分年嵩に見える女性達の服装は、黒サージのお仕着せに純白のエプロン。俗にいうメイド服だ。
 けれど、秋葉原辺りで売っている紛い物とは訳が違う。華美な装飾の無い、清潔感に満ちたシンプルなデザインは修道女を思わせるほど禁欲的であり、詰襟に長袖にロングスカートと、余分な肌の露出は皆無。唯一、ひっつめ髪の上に乗せた、レース仕立てのヘッドドレスだけが、メイドたちの華やかさを控えめに演出していた。
 給仕の作法は洗練されており、十三人分のお茶とお菓子が、あっという間に用意された。
 お茶会などという、上品な催しにはとんと縁の無い真琴なので、目の前で湯気を立てる紅茶に、いつどのようにして手をつけるべきか、まったく見当がつかない。
 すると、主催者である黎香が、タイミング良く開会の音頭を執ってくれた。
「諸君、今日は喜ばしい日だ。我らがラウンドテーブルに久方ぶりの客人を招待することが出来た。学園での生活も六年目に入り、倦怠に日々の彩りも褪せてきた矢先の幸運である。この機を逃さず、存分に楽しんで貰いたい。では、乾杯!」
 まずは黎香がひと口啜り、それを合図に、お茶会は幕を開けた。
 一時はどうなるかと思ったが、始まってしまえば何の事は無い。お嬢様学校らしく、淑やかな女子高生たちが、歓談に華を咲かせているだけだった。
 ようやく緊張の解け始めた真琴に、黎香は穏やかに話しかける。
「紅茶の味はどうだろう。気に入ってもらえただろうか?」
「は、はい。美味しいです。とても」
「それは良かった。久しぶりの客人に皆も喜んでいる。組織を代表して、私からお礼を言わせてもらう。ありがとう」
 女子高生とは思えない、黎香のジェントルマン振りに、真琴は恐縮至極。
「こ、こちらこそ。お、お招き頂いて、ありがとうございます」
 慣れない敬語にへどもどするばかりだ。
「ところで、ずっと気になっていたのだが、真琴は新入生の筈なのに、どうして三年の制服を着ているのか?」
「へ?」
 突然の質問に、真琴の目は丸くなった。バッチなどで学年とクラスを識別するのはよくあるとして、学年毎に違う制服なんて聞いた試しがない。
「あ、あの……僕……」
 考える隙を与えず、黎香は畳みかけてきた。
「気がつかないか? 襟と袖の白線の本数が、皆違うことに」
「……あっ!」
 言われてようやく気がついた。一本、二本、三本と、それぞれ四人ずついるのだ。
 いつしか歓談は止み、生徒たちの視線が真琴に集中する。皆、示し合わせたように意地の悪い笑みを浮かべ、まんまと罠に嵌まった哀れな獲物をどう料理しようか、と思い巡らしているようだった。
「白は高等部、線の数は学年を表している。ちなみにスカーフ留めの色がクラスで、銀刺繍のフェアリー校章は、我らラウンドテーブルの証。つまり、真琴は既に我らの一員ということだ」
 真琴は自分のつけているスカーフ留めを慌てて見直し、絶望的な気分になった。
 選りに選って鉄男は、とんでもない制服を盗んできたらしい。
「出入りの業者から報告があったのだ。廃棄処分待ちの制服が一着、出来の悪いレプリカとすり換えられていたらしい。大方、制服マニアと呼ばれる愚か者の仕業だろう。無い知恵を絞っての小賢しい手口、怪盗気分はさぞ心地良かったに違いない。ときに真琴。犯人に心当たりは無いだろうか?」
 ありまくりだった。
(鉄男の馬鹿っ! 最初からバレバレじゃん!!)
 言いわけ無用の状況に、真琴は思い切って開き直る。
「僕は部外者だって、始めからわかっていたんですね?」
「我が校の生徒は余程のことが無い限り、制服で外出したりはしない。まして、屑高のゴキブリと肩を並べるなど言語道断だ」
「だから、鉄男を轢こうとした」
「正直、盗まれた制服はもう出てこないものと思っていた。薄汚い部屋にコレクションとして死蔵され、事ある毎に、おぞましい行為に利用されて、朽ち果てるものと」
 黎香の口にした「おぞましい行為」とは何なのか、男の真琴はすぐに思い当たる。
(まさか鉄男の奴、この制服を着て……いや、サイズ的にそれは無理か。でも、場合によっては一度くらいぶっかけているという可能性も……)
 渡されるまま身につけてしまった自分の浅はかさに、真琴はげっそりした。
「驚いたよ。白昼堂々と歩いているのだからな。最初は彼女にでも着せているのだと思ったが、あのゴキブリに彼女など、いる筈もない」
「酷っ……」
 しかし、事実だった。
「以前にも一人いたのだ。何を考えたか、レプリカの制服を着て、我が校に侵入しようとした輩が。ただし、そいつは真琴ほど可憐ではなかったので即座に捕縛、警察に突き出してやったがね」
 黎香の目元が綻ぶ。彼女が一体、自分をどうするつもりなのか、真琴には読めない。
「だったら僕も警察に突き出せば良いでしょう? わざわざお茶を振舞う必要なんて無いはずです」
「君はただ、警察に突き出すには惜しい人材だ。今後の教練次第では、イスカリオテのユダでなく、穢れ無きギャラハッドともなり得る。それと、私が何の意図も無く、侵入者に茶を振舞うと思うのかね? 言った筈だ。特製のお茶をご馳走する、と」
 残忍な笑顔が語るのは、たった一つの可能性。
「まさか!? 紅茶に何か……うっ!!」
 言い終えるより早く、身体が疑問に答えてくれた。強烈な痺れと眩暈が真琴を襲う。
「愚かな。敵地で呑気に茶を啜るなど、無謀の極み」
「は……」
「は?」
「謀ったな!? シャアッ!!」
「誰がシャアか。しかし、意外だ。見かけによらず、オタクなのだな」
「お、男はみんな……ガンダム好きだよ……」
 無論、嘘である。オタク呼ばわりされたのが口惜しくて、つい……。
 真琴は立ち上がろうとして椅子から滑り落ち、赤い絨毯に這いつくばる。
 朦朧とする意識の中で最後に聞いたのは、黎香の笑えない冗談だった。
「ならば、礼儀として付き合おう。真琴、君を修正してやる!」
 ……よく知ってんじゃん。



 身体の節々に走る鋭い痛みが、真琴を深い眠りから覚醒させた。
「う……んん……」
 おぼろげな目で辺りを見まわす。意識はまだはっきりせず、紅茶に混入された薬物の影響か、頭がくらくらした。
 カーテンは閉じられ、消された電灯の代わりに灯る蝋燭の炎が、ぐるりと周囲を取り囲んで揺らめいている。
 自分が円卓の中心に蹲っていると気付くまで、真琴には暫しの時間が必要だった。
「いったい、どうなって……うあっ!?」
 身体を起こそうとした真琴は、手足の拘束にバランスを失って再び円卓に突っ伏し、時同じくして、身体に走った痛みの正体を知る。
「なっ、縄!?」
 それはセーラー服の上から、深々と食い込む荒縄だった。
 両腕を巻き込み、上半身を戒めた縄はそのまま後ろ手を縛り上げ、天井の金属フックを通して、末端は部屋の暗がりへと消えていた。
 下半身は何故か右足にのみ縄が巻きつき、膝を抱える形で緊縛されている。
 締め付けは相当にきつく、ざらついた荒縄の前では薄っぺらなセーラー服など無に等しかった。
「お目覚めかな?」
 正面から声が聞こえた。ようやく目も慣れてきて、蝋燭の向こうに黎香の姿が浮かび上がる。
「これはなんのつもりですっ!?」
 苦しい体勢のまま、精一杯、顎を引き起こして真琴は叫んだ。官能小説も真っ青のあからさまなシチュエーションに、これから自分を襲うであろう、おぞましい展開を想像したが、無条件に屈服するつもりなどなかった。
「侵入者の身で口にする言葉とは思えんな。自らの犯した罪を思えば、自ずと状況は理解できると思うが」
「つまり、僕をリンチすると?」
「そんな無粋な真似はしない。これは教育的指導だ。貴様は既に我らの一員であり、軍に例えるなら、私は上官に当たる。よってこれより、訓練を与えるだけのこと」
 二人称が貴様に変わり、黎香の目はサディスティックな鬼教官のそれになっていた。
「貴方、何様の……っ!?」
 口を開いた途端、強烈な裏拳が真琴の頬を打ち抜いた。
「遊びの時間は既に終わった。上官に対する反抗的な態度は懲罰の対象である。以後、注意したまえ」
 毅然と命令する黎香の両腕は、SM嬢が使う黒革のグローブで護られている。
 問答無用の一撃に唇から血を滲ませ、真琴の闘争心は燃え上がった。
「僕は……貴方の思い通りにはならないよ」
 歯を食い縛り、思い切り黎香を睨みつけてやる。
「なるほど。人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある……か。その意気や良し。それでこそ、調教のし甲斐もあるというものだ。貴様はフルメタルジャケットという映画を知っているか?」
 答える義務など無い。でも、知らないと思われるのも癪に障る。真琴は唇を尖らせ、ぼそりと呟いた。
「……キューブリック」
「ならば、話は早い。私はハートマン先任軍曹が大好きだ。ここでは彼の名言を借りよう。貴様を泣いたり笑ったり出来なくしてやる」
 冷酷な瞳に蝋燭の炎が映り込み、狂気の色を帯びる。周囲の闇から、取り巻きの少女たちが亡霊のように浮かび上がって近づいてくる。真琴の目には彼女らの身につけるセーラー服が、まるでゲシュタポの制服に見える。
 そして、サバトが始まった。
 巻き上げられた縄が身体に食い込み、蹲っていた真琴を無理やり引き起こす。
 右脚を折り畳んだまま拘束されているので左脚一本、しかも、辛うじて爪先が着くという、ほとんど拷問のような姿勢で立たねばならない。
 結果的に短めのスカートが八割方めくれ上がって、股を半分おっぴろげる形となり、チェック柄のトランクスを思い切り晒す羽目になってしまった。
 円卓の下から黎香が勝ち誇った目で見つめている。他の少女たちは頬を赤らめたり、くすくす笑って小声で話をしながらも、誰一人として好奇の目を逸らす者はいない。 黎香の底意地の悪さを思い知り、真琴は恥ずかしさと悔しさに唇を噛んだ。
「さて、準備は整った。誰か先陣を切る者はいないか?」
 黎香の問いに、一人の少女が即座に手を挙げた。
「私にいかせて下さい! 黎香さま」
 それは襟と袖に一本線、つまり一年生の少女だった。ツインテールの髪にまだ幼さを残す黒目がちな女の子。背は集団の中で最も小さく、小学生と言われても違和感はない。一年の身でありながら、上級生を差し置いて声を挙げる無邪気さも合間って、凶悪なくらい可愛かった。
「良かろう。行きたまえ。フェアリーの淑女として、ちゃんと挨拶するのだぞ」
「はいっ! いってきます!!」
 一言一言が元気な子だ。お姉さまがたに手伝ってもらって、ようやく円卓に上ると、子リスみたいにとことこ近づいてきてすぐ目の前で立ち止まり、スカートの裾をつまんでぺこりと御辞儀した。
「私立聖フェアリー女子学園、一年C組の月島凛です。よろしくお願いします」
「あ、えっと……私立九頭高等学校、三年B組の深井真琴です。よ、よろしく……」
 礼儀正しい凛に釣られて、真琴まできっちりと自己紹介してしまう。どう考えても、今置かれている状況には似つかわしくない、あまりに健全な出会いだった。
「深井さんって、とてもお綺麗ですね。わたしは一人っ子だから、深井さんみたいなお兄ちゃんがずっと欲しかったんです」
 泣かせる台詞だ。この異常空間において、まともな人間と話ができるだけでも有り難いのに、凛は連れて帰って妹にしたいくらい愛らしい。黎香が凶悪な狼なら、この娘は心優しい赤ずきんだった。
「ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「妹が一人いる。君みたいに可愛くはないんだけど……それより、なんで君みたいな良い子が、こんな禄でもない集団に加わってるの?」
「ふふふっ、禄でもなくなんてないですよ。お姉さまがたはみなさんお優しいですし、何より黎香さまは、この学園を護ってくださる女神様ですから」
 そう言って微笑む凛は、こちらが恥ずかしくなるくらい純粋な笑顔で、けれど発言の内容を鑑みると、その純粋さ故に新興宗教に嵌まってしまった可哀想な子、という印象を受けてしまう。
「月島さん……」
「凛と呼んでください。わたしもお兄ちゃんって、呼ばせてもらいます」
「じゃあ、凛ちゃん。悪いことは言わないよ。こんな連中と付き合っていちゃ駄目だ。この縄を外してくれたら、僕が本当のお兄ちゃんになって凛ちゃんを護ってあげる」
 子供だましは嫌いだが、この際、手段を選んではいられなかった。
 途端に凛はきょとんとした顔になって、どうしようか、と黎香の方を振り返る。
「好きにして良いのだぞ。私は何も強要したりしない」
 静かに黎香が答え、少し考えた凛は向き直って、満面の笑顔で言った。
「実はお兄ちゃんにお願いがあるんです」
 話の流れが繋がらない。提案は完全に無視された。
 ああ、そういうことか。真琴は理解した。この凛という娘もまた、他の少女たちと同類であり、黎香の虜なのだ。でなければ、そもそもこの場にいるわけがない。
「すごく恥ずかしいんですけど、でも言っちゃいます。わたし、男の人の精液を飲んでみたいんです!」
 絶望の二文字が脳裏を過った。
 ざわっ……ざわざわっ……。
 凛の発言を聞き、円卓を取り囲んでいる少女たちがざわめき始める。
「よろしくお願いします」
 返事を待たずにそっと寄り添い、頭ひとつぶん小さい凛は、精一杯の背伸びをした。
「ちょっと待っ……んぷっ!?」
 それは制止する間もない、電光石火のキスだった。桜の花びらみたいな唇がぴたりと吸いつき、優しい温もりがダイレクトに伝わってくる。切なげな吐息が頬をくすぐり、押し当てられた膨らみかけの乳房を通して、心臓の鼓動まで聞こえてきそうだ。
 周囲からは溜息混じりの歓声が漏れる。少女たちは口々にやるぅとか、ずるいとか、呑気なことを言っている。
 こちらはそれどころではない。すでに頭の中は真っ白で、他人の視線を気にしている余裕はなかった。
 遅ればせながら瞼を閉じてキスに応えるものの、なにぶん初めてなので、唇を離すタイミングがわからない。そうこうしている内に、唇の隙間から小さな舌がぬるりと滑り込んできた。
「んぐぅっ!?」
 未体験の挿入感に驚き、真琴は背筋を震わせる。ほんのり甘い凛の舌は積極的に絡みつき、母親の乳房を吸う赤ん坊のように、健気な吸引力でちゅっちゅっと真琴の舌を吸った。
(これが女の子とのキス……柔らかくて……あったかくて……なんて甘いんだろう)
 カップに牛乳を入れたらしい。ほのかにミルクティーの味がするとろとろの唾液を、真琴はこくこく喉を鳴らして夢中で飲み干す。
 絡めた舌のぬめりに頭の芯がくらりと揺れ、膝の力が抜けて崩れ落ちそうになる。
 すぐさま縄が締まって身体に食い込み、辛うじて姿勢を維持することができた。
「ぷはぁっ……」
 ようやく唇を離した凛の頬は真っ赤になっていた。瞳は潤み、恥ずかしそうに微笑んでいる。
 真琴もすっかり赤面して、かける言葉がなかった。
「えへへ。うれしくって、つい舌を入れちゃいました。もしかして、キスは初めてですか?」
 子供のような少女に訊かれて一瞬迷うが、ファーストキスの相手に嘘は吐けない。
「う、うん」
「やったぁっ! じゃあ、わたしが初めての相手なんですね。それはすごく、光栄なことです」
 一人で大はしゃぎする姿に真琴は苦笑する他ない。せめてこのような形でなければ、素直に喜べるのだが。
「で、凛ちゃんの方は?」
 今さら訊くまでもなかった。初めてにしては上手すぎる。きっと相手は……、
「わたしの初めての相手は黎香さまです」
 何の臆面もなく凛は答えた。やはり、そういうことなのか。
 見ると黎香が不適な笑みを浮かべている。
「月島、彼の股間を良く見たまえ。男子の生理現象とは単純なものだ。あまり待たせるのは酷ではないか?」
 凛だけでなく、全員の視線が一点に集中する。濃密なキスに若い身体はしっかりと反応し、トランクスの股間はこれでもかとテントを張っていた。
 改めて自分のみっともない格好を思い出し、真琴は語気を荒げて抵抗する。
「もう、この辺で良いでしょう!? これ以上は付き合ってられません。僕を帰してください!!」
「そうか、それは残念だ。月島、彼はどうやら君を気に入らなかったらしい。次の者と交代したまえ」
 悪辣な言い回しだった。黎香の言葉に凛は泣きそうな顔になって、でも必死に涙を堪えて微笑んで見せる。
「うぅっ……えっと、その……上手く出来なくて……ごめんなさい」
 ぺこりとお辞儀をして踵を返した凛を、真琴は慌てて呼び止める。
「だあっ、違う違う! 凛ちゃんは何も悪くない! キスだって上手だったし!」
「ほんと……ですか?」
 身体半分振り向いて、凛は恐る恐る訊き返す。
「も、もちろん」
「わぁい! わたし、うれしいですっ!!」
 今泣いた烏が笑顔を爆発させて抱きついてきた。首筋に鼻を擦りつけるこりこりとした感触が面映ゆく、思い切り押し付けられた、幼い胸の柔らかさにきゅんとなる。
 しかし同時に、無垢な少女の気持ちを弄ぶ黎香に対して、激しい怒りを覚えた。
(貴方はなんてことをするんですかっ!?)
 あらん限りの怒気を込めて睨みつけるも、黎香はどこ吹く風。
 唇の端を歪ませ、してやったりという笑みを漏らして、悠然と腕を組む。
 そんな二人の鍔迫り合いを余所に、目をらんらんと輝かせて凛は言った。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんのおちんちん、触っても良いですか?」
 極上の笑顔でそんなことを言わないで欲しかった。断りようがないではないか。
「う、うん。いいよ。もう凛ちゃんの好きしな」
「ありがとう! お兄ちゃん!!」
 お礼と言わんばかりに、フレンチキスを頬にチュッ!
 凛はその場に跪いて、いそいそと股間をまさぐり始める。
(ああ、この娘が本当の妹だったら、良かったのに……)
 小憎らしい妹の顔を思い出して、真琴は心底そう思った。
「じゃあ、お兄ちゃんのおちんちん、わたしがお手当てするね」
 ちゃんと断るところまでは礼儀正しくて大変よろしい。しかし、その後、凛は何を思ったのか、トランクスのボタンを外し、穴からおもむろに手を突っ込んだ。
「!!」
 思いがけない行動に声が出ない。ボタンがついているのだから、そこが正しい取り出し口と思ったのだろう。
 凛は窮屈な穴に小さな両手を突っ込み、既にびんびんになっているペニスを掴んで引っ張り出そうとした。
「はうっ!」
 周知の通り、普段使うことのないトランクスの穴はとても狭く、絶好調になっているブツを通すのはとても難しい。
 その辺りの理屈をまったく理解していない凛は、ほとんど力ずくで引き出そうとするので、先端が思い切り生地に擦れる。だがその一方、小さな二つの手がトランクスの中でにぎにぎしてくれるのはとても気持ち良く、痛いやら気持ち良いやらで、真琴は悶絶しそうになった。
「ご、ごめんなさい。痛かった? ねえ、痛かった?」
「いや、痛くないよ。大丈夫」
 八重歯の光りそうな笑顔で答えて、なんとか凛を安心させる。
「痛いときは言ってね。初めてだから上手く出来ないかもしれないけど、わたし一生懸命頑張るから」
 実際、凛は奮闘し、間も無くペニスを取り出すことに成功した。
 初めて見る物体に驚くかと思いきや、目の前で反り返る肉棒を目の当たりにして、ぱちぱちと拍手をして喜ぶ。
「わぁっ! パパのよりおっきぃ!!」
(お父さん、ごめんさい。そして、ありがとう)
 凛は手に余るペニスをやんわり握って、ゆっくり上下にしごき始めた。
 手の動きはぎこちなく、上目遣いに真琴の反応を確かめながら、少しずつ手を速めていく。
「どう? 気持ち良い?」
「うん、気持ちいいよ。凛ちゃんは覚えるのが早いね」
「よかったぁ。待ってね。今度はもっともっと気持ち良くしてあげるんだから。でも、どうしたら良いんだろう?」
 凛はうーんと考えて、
「そっかぁ!」
 おもむろに亀頭をぱくりと咥えた。桜色の小さな唇が、ちょっと苦しそうに先端を咥えて、舌先でちろちろと割れ目を舐める。
「んふふっ、お兄ちゃん。先っぽからしょっぱいのが出てるよ。これが精液なの?」
「ち、ちが……うっ!」
 新しい玩具を買ってもらった子供のように、凛はペニスに興味深々。
 再び亀頭を咥えると、前歯で表面をかぷかぷ甘噛みする。どうやら、そうすることで尿道口が広がり、先走りの雫がより多く滲み出すと気付いたらしい。小さな舌を尖らせ、拡張された尿道の内側をちろちろと穿って、カウパーをねだる。
「そ、そこは駄目ぇっ!」
 いきなり尿道責めを食らい、初めて味わうマニアックな快感に、真琴は喘いだ。
「れも、おひいひゃんのほれ、ろっれもおいひいよ?」
「も、物を口に入れたまま、しゃべっちゃいけません!」
 ついお母さん口調になってしまった。ペニスを咥えたまましゃべる凛の唇は、鯉のようにもむもむ開閉し、それに伴って蠢く狭い口腔がペニスにぺたぺたと貼りついて、真琴の性感を高めていく。
 次第に慣れてきたのか、唇を窄めたり緩めたり、ついには頭も振り出して、舐めたり吸ったりを繰り返す。時折、亀頭を喉の奥にぶつけて、おえっとえずくのは御愛嬌だが、早くもフェラチオのコツをマスターしつつあるようだった。
「ああっ……ううっ!」
 不覚にも真琴はイキそうになっていた。気持ち良さもさることながら、口端から透明な雫を垂らし、ツインテールを揺らしながら必死に舐めてくれる姿が愛しくて仕方ない。両手が自由だったら、その頭を撫でてあげたかった。
「ご、ごめん! 凛ちゃん。僕、もう出ちゃいそうだから、放して!!」
 込み上げる脈動を抑えられそうになかった。しかし、凛の口にぶちまけるのは、さすがに人としてどうかと思う。無論、傍から見れば、もうすでに充分、人間失格であろうが。
 ところが凛は、フェラチオを続けながら、ふるふると首を横に振った。
「忘れたのかね? 月島の願いを」
 横から黎香が口を挟む。そして、真琴は思い出した。
(わたし、男の人の精液を飲んでみたいんです!)
 それが凛の願いだった。
「で、でも……でもっ!?」
 躊躇う真琴に、凛の目がにこりと微笑む。
(わたしのお口にいっぱい出して。お兄ちゃん)
 彼女の目は確かにそう言っていた。
「うっ!!」
 堪らず我慢は限界に達した。熱い脈動が腰を貫き、背筋がぶるぶると震えて荒縄を引き絞る。溢れ出す奔流を止める手だてはもはや無く、真琴は凛に詫びながら、迸る射精の快感に身を任せた。
「ごめん、凛ちゃん! 出すよ! 僕、凛ちゃんの口に出すよ!!」
 瞬間、凛は応えるようにひときわ強く唇を窄め、力の限りペニスを吸う。
「ううっ! で、出るぅっ!!」
 優しい吸引力に吸い出され、切ない戦慄きと共に、小さな唇の中で生命が弾けた。
 止めど無く噴出する多量の精液は狭い口腔をあっという間に満たし、唇の端から溢れて、ぼとぼと顎を伝い落ちる。
「んくっ! んくくっ!!」
 真琴の想いを無駄にすまいと、凛はこくんこくん喉を鳴らして懸命に飲み下すが、とても追いつかない。こぼれた雫を受け止めようと作った手皿も空しく、指の隙間から漏れ滴った白濁液が、可憐なセーラー服に黒い染みを幾つも作っていった。
 やがて、長い長い射精運動がようやく収まっても、凛は名残惜しそうにいつまでもおしゃぶりを続ける。そうして一滴残らずしゃぶり尽くし、
「ぷはぁっ!」
 と、精液臭い吐息を吐いて、ずるりとペニスを吐き出した。
 唇を伝う白濁した糸がひどく生々しい。けれども、凛はそんなことお構いなしで、掌に溜まった残りのミルクを、舌先でぺろぺろと猫みたいに舐め始める。
 精も魂も抜き取られたように脱力し、すっかり放心した真琴は、射精直後の甘美な余韻に浸りながら、そのどうしようもなく愛らしい姿を、ぼうっと見つめ続けた。
「素晴らしい! 大変良いものを見せてもらった」
 黎香がわざとらしく拍手をすると、壇上の狂態に見入っていた少女らも我に返って追従し、室内は万雷の拍手に包まれた。
 精液を舐め尽くした凛は立ち上がり、破廉恥な観客たちに向かって、誇らしげにお辞儀をする。あたかもピアノの発表会で、拙い演奏を終えた童女のように。
「さて、皆にとっては散々、あてつけられた形になってしまったが、心配はいらない。まだ宴は始まったばかりだ」
 聴衆相手の演説を彼方に、真琴は小声で礼を言った。
「ありがとう、凛ちゃん。すごく気持ち良かったよ」
 夢にまで見たファーストキスとファーストフェラの相手が、妹と同い年の少女になるとは思わなかった。思いがけない激レアな体験に、嬉しいやら申し訳無いやら。
「こちらこそ、どういたしまして。男の人の精液って、すごく苦しょっぱくて変な味だったけど、お兄ちゃんがいっぱい出してくれて、わたしとっても嬉しかったです」
 面と向かってそんな微妙な感想を言われても……もとい、今は些事を気にしている場合ではない。
「ところで、物は相談なんだけど……」
「ごめんなさい。縄は解いてあげられないんです」
 真琴の言葉を早々と遮り、凛はきっぱり拒絶した。
「どうして?」
「お兄ちゃんのことは大好きです。でも、わたしは黎香さまにちゅうせいを誓ってるんです」
 忠誠の意味を理解しているとは到底思えなかった。綴りも平仮名になっていた。
 それはそうと、たかが生徒会長に対する忠誠心とは一体何なのだ。
(彼女はラインハルトかっ!?)
 ラウンドテーブルなどという、大袈裟な異名を持つこの生徒会は、思いの他、強い結束力で結ばれているらしい。
「済んだかね? 別れを惜しむ二人に割って入る無粋は承知であるが、後の者たちが控えている」
 黎香の言葉に、真琴はいよいよ腹を括る。
「ええ、済みました。いつでもどうぞ」
「良い返事だ。その意気で次の者も可愛がってやって欲しい」
 そして、円卓に上がってくる少女が一人。セーラーに白線が二本入っている。
「二年D組、森本なつめ。私は凛ほど甘くないよ。覚悟してね」
 快活そうなポニーテールの少女は、悪戯な猫の目でそう言った。
「じゃあ、頑張ってね。お兄ちゃん!」
 すっかり満足したらしい凛は、なつめの掌をぱんっと叩いてバトンタッチし、元気に円卓を降りていく。
「では、始めたまえ」
 黎香の号令が掛かり、なつめがくすくす笑いながら近づいてくる。
 そう……狂った宴は、まだ始まったばかりだった。

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